「自分で考えている」は、本当に自分で考えている?——AI依存を見抜くMonitoring設計

AIを使ったあと、「参考にはしたけれど、最後は自分で考えた」と感じることがあります。 でも、その感覚はどこまで当てになるのでしょうか。 AIを使う回数が少なくても、使ったときにはほぼその答えを受け入れているかもしれません。逆に、毎日AIを使っていても、出力を疑い、直し、別の見方を探している人もいます。 AI時代のHuman Agencyを考えるとき、「どれくらい使ったか」と「自分で考えていると感じるか」だけでは足りないのかもしれません。
「独立して考えている」という感覚と、AIへの依存は一致しないことがある
Amzalag、Zviel-Girshin、Beimelによる2026年の研究 *The illusion of cognitive independence in the age of generative AI: unpacking GenAI literacy and learner profiles* は、GenAI利用者のliteracy、reliance、monitoringと学習上のアウトカムを調べています。 研究ではクラスター分析から、monitoringとrelianceを組み合わせてAIを使う「Engaged and Literate」、AIへの依存が高い一方でmonitoringが限定的な「Uncritical Reliant」、AIの利用頻度は低いものの利用時には高く依存する「Skeptical Minimal」という3つのプロフィールが示されました。 とくに重要なのは、独立して考えているという自己評価が高くても、十分なmonitoringなしにGenAI出力へ認知的にオフロードしている人がいることです。研究者らはこれを「illusion of cognitive independence」と表現しています。 参照:Amzalag, M., Zviel-Girshin, R. & Beimel, D. (2026), *The illusion of cognitive independence in the age of generative AI: unpacking GenAI literacy and learner profiles*, Frontiers in Education. [https://doi.org/10.3389/feduc.2026.1861548](https://doi.org/10.3389/feduc.2026.1861548) この研究だけから、AIが人の独立思考を失わせるという因果関係を断定することはできません。しかし、「私は自分で考えている」という主観だけでは、実際の認知的Agencyを十分に捉えられない可能性を示しています。
HYMYの仮説:Agencyは「使った量」ではなく「監督できているか」で見る
ここからはHYMYの仮説です。 AI利用を減らすこと自体を目的にする必要はないのではないでしょうか。 重要なのは、AIが出した解釈や提案に対して、自分がまだ「違う」「分からない」「別の見方もある」と言えるかです。 つまり、AIへの **reliance(依存)** と、AIの出力を検証・修正・拒否する **monitoring(監督)** は別の軸として扱う必要があります。 AIを頻繁に使っていてもmonitoringが保たれている状態と、利用頻度は低くても出力をほぼ無検討で受け入れる状態は、Human Agencyの観点では同じではありません。
「自分で考えましたか?」と聞くだけでは測れない
AIサービスがHuman Agencyを守れているかを評価するとき、本人へのアンケートだけでは十分ではないかもしれません。 たとえば、AIの提案を編集したか。別案を見たか。「違う」と判断したか。保留したか。自分の言葉を追加したか。 こうした小さな行動には、利用者がAIを単に受け入れたのではなく、認知的な権限を自分の側に残していた痕跡があります。 もちろん、修正回数が多ければAgencyが高いと単純に決めることもできません。良い提案なら、そのまま採用する合理性もあります。 だからこそ必要なのは、AIへの依存を悪とみなすことではなく、**本人が検討できる余地と、実際に検討した痕跡を観測できること**ではないでしょうか。
Moon&Me / HYMYなら、どう設計できるか
Moon&MeのInsightでは、AIが記録から一つの解釈を提示するだけでなく、「違う」「保留」「別の見方」といった選択肢を持たせることが考えられます。 さらに、AIの解釈を編集した、自分の言葉を足した、別の観察を選んだ、といったmonitoring行動を、利用者を評価するためではなく、**AI側が支援の仕方を調整するためのシグナル**として扱えます。 もしAIの提案を長期間ほぼそのまま受け入れているなら、少しだけ別の視点を提示する。逆に、十分に吟味しながら使えているなら、不要な摩擦を増やさない。 目指したいのは、「AIを使わない人」をつくることではありません。 **AIを使っていても、自分がまだAIを見て、問い、選べること。** その状態を、感覚だけでなく行動からも確かめられるAI設計が必要なのかもしれません。